公開: 2019年9月23日
更新: 2019年9月xx日
1941年11月26日、米国政府は日本政府に対して、日米の協定に関する基本事項をまとめた文書を提示しました。この文書は、米国当局の責任者であったハル国務長官(外務大臣と同じ)の名前をとって、ハル・ノートと呼ばれています。
その内容は、以下の通りでした。
このハル・ノートが示した「日本軍の中国からの撤兵」が満州地域からの撤兵を含むものかどうかは、明確ではありませんでした。それ以前からの交渉の経過を見て、日本政府は、満州からの撤兵も要求されているとの可能性を危惧したようです。また、中国国民党の重慶政府を唯一の中国政府としたことは、日本が進めていた汪兆銘の南京政府を見殺しにすることが条件となっており、日本政府にとっては、受け入れられない条件と認識されたようです。